山手プロムナード・コンサート - ~2003年秋、横浜山手と元町を舞台に産声を上げた古楽器によるクラシックコンサート~
楽器のご紹介


ナネッテ・シュトライヒャーのピアノフォルテ
ナネッテ・シュトライヒャーのピアノフォルテ
 ナネッテ・シュトライヒャーは、19世紀の最初の四半世紀に、ウィーンにおいて最も高く評価された女流ピアノ製作家である。特にこの楽器は6オクターヴ/4本ペダルのタイプは、彼女のピアノのうちで最も優れたモデルで、ベートーヴェンを夢中にさせた。  ナネッテ・シュトライヒャーは、1820年に至るほぼ10年間にわたり、このモデルを基本的な仕様を変更せずに作り続けた。音域は6オクターヴ、ペダルは右からダンパー、モデラート(ハンマーと弦の間に紙を触れさせてびりつかせる)、シフト(鍵盤をずらしてハンマーの打つ弦の数を減らす弱音ストップ=「ウナ・コルダ」とも言う)。第二響板と呼ばれる薄い板が通常の響板の上に設置されているが、当時のウィーンのピアノには大抵の場合この第二響板が取り付けられていた。直接音を抑えた、少し曇りのある柔らかな響きが好まれたのである。  この時代のウィーンのピアノは、蓋を完全に閉じるか、あるいは外して演奏された。今日のピアノのように、蓋を開けて突き上げ棒で支えるという演奏スタイルはこの時代のウィーンの趣味には馴染まなかったのである。  この楽器には、1818年という製作年代と1352という製造番号が、響板上にスタンプで押されている。鍵盤の上方のネーム・シールド及び響板上には「ナネッテ・シュトライヒャー、旧姓シュタイン」というブランド名が書かれている。  エラールのピアノに失望して以来4年余りもピアノソナタの作曲から遠ざかっていたベートーヴェンは、1809年ナネッテ・シュトライヒャーの楽器によって再びピアノの世界に引き戻される。ナポレオン軍のウィーン侵攻という波乱の年であったにも拘わらず、ベートーヴェンにとっては≪テレーゼ≫≪第24番嬰ヘ長調 作品78≫に始まる3曲のピアノソナタ―ただし≪告別≫の完成は翌年の1月まで持ち越されたが―、作品77の幻想曲、そしてピアノ協奏曲第5番≪皇帝 ≫など、ピアノ作品の傑作が並ぶ豊作の年となった。  その後に書かれたピアノ三重奏曲≪大公≫、ヴァイオリン・ソナタ第10番、チェロ・ソナタ第4・5番などの傑作群もまた、シュトライヒャーのピアノからのインスピレーション抜きでは考えることのできないものである。
ホフマンのピアノフォルテ
ホフマンのピアノフォルテ
フレンチ様式のチェンバロ
フレンチ様式のチェンバロ